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参考資料 (『ボランテイア・社会福祉教育研究』全社協 1983年9月1日 より)

「おもちゃ図書館」の役割       安藤 忠(当時 大阪府立大学助教授 元北九州市おもちゃライブラリー館長)

 

1.はじめに

  障害児ひとりひとりにあった、おもちゃとの出会いの場を作るために、「おもちゃの図書館(Toy Library)」づくりが、ここ数年、全国的に推進されている。  この状況をふまえて、「豊かな遊びを広げるおもちゃ図書館づくり」をテーマに、第1回全国トイライブラリー連絡協議会が、57年10月4日、5日と2日間にわたって長野県軽井沢で開催された。その際私は、記念講演を行う機会を与えられ、「おもちゃの図書館の役割」と題して、北九州市おもちゃライブラリー(KOL)での実践と、これまで係わってきた障害児療育の立場から、おもちゃの図書館の演ずる社会福祉的な役割を強調するとともに、今まで世界各地で見聞した、おもちゃへのとり組みを紹介した。  その後、この会は、全国社会福祉協議会のバックアップのもとに、おもちゃの図書館全国連絡会へと発展しており、58年4月現在では、参加施設24を数え、その後も次々と開設の予定があがっていると聞く。また、58年2月25日、26日の2日間、東京で行われた「新たな活動の展開を考えるボランティアのつどい」でも、このおもちゃの図書館づくりは、新しいボランティア活動としてとりあげられ、実践的な討議が展開されたのである。  このような展開をみると、障害児に対するこの種の福祉活動は、今後もさらに加速度をつけて組織的に発展していくと思われるので、改めて「おもちゃ」や「おもちゃ図書館」の意義、はたすべき役割について考えてみたい。

 

2おもちゃについて

 柳田邦男は、「子ども風土記」のなかで「おもちゃ」という語は「もつ」という語と「あそぶ」という語があわさってできた「もちあそぶ」という語に「お」という接頭語がついた後、「おもちゃ」に変化したものだという意味の事をのべている。  もつは「持つ」、あそぶは「遊ぶ」であるから、もともとおもちゃは、「持つ、遊ぶ」という自発的な、根源的な行為に関わる「使用価値」を持たされた「物」なのである。  この考えは世界共通らしく、米英ではplay thing(遊ぶ もの)、ドイツでは、das Spiel zeug(遊ぶ もの)という語があり、スウェーデンではLeksaken(遊ぶ もの)といずれも同じ様な意味を持たせている。けれども、その一方に、Toyという語が持つ「つまらない物」の意味もあり、さらに動詞的に、「おもちゃにする」などと使われて、さらにこの言葉のイメージを落としてしまう。「おもちゃ」には、もともと、こういった軽やかなイメージが否めない。  しかし、この「つまらぬ」たかが「おもちゃ」という「物」が、いろいろな運動や精神の機能的発達の途上にある子どもと出合ったとき、すばらしい、さまざまの価値をうみ出し、子どもの発達に影響を与える重大な物的環境の一つとて働く事は疑いもなく、そのためにおもちゃが存在するといっても過言ではない。Heinz Stefan Herzka(ヘルツカ)は、この価値を

   ①    運動を行わせる(自発性の育成)

 ②    経験を積ませる(skillの発達)

 ③    創造性を高める(模倣から創造へ)

 ④    人間関係を作る(仲間や大人との関係のにない手)

とまとめており、人間性を育てる重要な「物」として位置付けている。  このような、おもちゃの影響は、健常児であれ、根本的には変わりはないが、必要性からいうと、むしろその様なおもちゃに出合い、それを子ども自身が感じ、動き、働きかける場面が障害のゆえに少なくなる肢体不自由児、精神発達遅滞や自閉的な傾向を持つ子どもにこそ強いといえる。  辻井が「どんなに重い障害をもっていても、また、深い自閉の壁にさえぎられていたとしても、子どもたちが、それぞれの仕方で、自分自身をまさぐったり、外界への手掛りを、手や目や、からだ全体の動きを通して確実にたしかめて行く事から、すべてははじまる様に思う」とのべ、障害児の療育の主体としてのおもちゃに、そのような期待を寄せているのも、こうした事をふまえての事なのである。  こう考えてくると、私達が考えるおもちゃの図書館には、あくまで軽いひびきを持つがまさにそれ自体は重いおもちゃを、多数の障害児に、個別の問題をふまえながら、気軽にひきあわせる出合いの場としての、あけっぴろげな、気楽な性格をその根本に持たせなければならないという気がする。

 

3.おもちゃの図書館の歩み

(1)その起こりと各国の事情

「おもちゃの図書館」の発祥地はスウェーデンである。1963年、Karin Stensland Junker(ユンカー)は、Evy Blidと共に、Lekotek(レコテク)を作る事を思いついた。  このLekotekというスウェーデン語は、play thingに相当する「Leksaker」と、libraryに相当する「bibliotek」の合成語であり、文字通り「おもちゃの図書館」といったものである。  この二人の女性には、それぞれ脳障害の息子と自閉症の娘、および肢体不自由の息子があり、それが設立の強い動機となっていること、さらに、これがボーイスカウト活動と関連があり、ユンカー女史自身が小児科医であったことなどが、おもちゃの図書館の性格を既定しているのは、興味深く思われる。  ユンカー教授は、その設立の動機について「おもちゃや遊具を、両親と子どもにただ貸し付けるのではなく、現実の目的は、障害児をかかえた家族が、それぞれの問題に、より効果的に対処できるように援助するための方策と、そういう雰囲気をつくる事だ」とのべている。10年後の1973年には、この個人的なボランティア活動としてはじまったレコテクは、60ヵ所以上に開設され、1978年からその95%が公立化されているという。  この活動は、その後ノルウェー、フインランド、デンマークへと広まって行くのである。  一方、イギリスでも、それに遅れる事4年の1967年に、精神障害時を持つ母親Jill Noris(ノリス)らを中心にしたEnfird Toy Libraryができた。  それ以来、1972年に開設されたToy Library Association (おもちゃの図書館協会)の力もあって、1978年には、600ヵ所を超えるおもちゃの図書館が、自宅をはじめ、いろいろな所で活動を続けており、世界的にも、中心的役割を務めるようになった。このように、「おもちゃ図書館」への期待は、この数年間で急速に世界中にひろがり、北欧、西欧、北米、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等において、ボランティア精神に裏付けられた活動が、多様に展開されている。

 

(2)日本のおもちゃ図書館活動

 1975年、辻井正は、日本最初のおもちゃライブラリーを大阪で開設し、以後、心身障害児の療育センターとして、西欧のおもちゃ紹介、販売にあわせて、図書の出版も行うなど広い範囲で療育的立場から、障害児のための図書館活動を行っており、後に、日本おもちゃライブラリー連絡協議会の有力メンバーとなった。  また、ボランティアの立場から、このおもちゃの図書館づくりに取り組んでいる小林るつ子は、1979年、国際児童年記念集中行事として愛知県で行われた「豊かな遊びをつくるためのおもちゃ展」を発展させ、その後も、おもちゃの図書館づくりをすすめる会を組織して、1982年10月、おもちゃの図書館全国連絡会の設立を確認し、同11月正式な発足と同時に、推されて会長に就任している。  現在、日本には、この二つの流れがあり、各々独自の活動を展開しようとしているところである。

 

4.おもちゃの図書館の役割と活動

 ユンカー教授は、レコテクの内容について次の5項目をあげている。

①      遊具を無料で貸し出し、両親に対し指導と助言を行なう。

 ②      教育的遊具の利用の実地指導を含めてplay habilitation(遊びを通しての療育)の大切さを教える。

 ③      おもちゃの図書館を運営できる人材の養成。

 ④      遊具についての研究を行ない、感覚訓練遊具の必要性を強調にしながら、遊具の製作者に構造を改善させたり、新しいデザインを考え出すよう働きかける。

 ⑤         [endif]BOELスクリーニングテストの導入によるcontactlessnessの検査

 この創設当時の目的は、1982年に和歌山おもちゃライブラリーを訪れた民間の、レクテクの主宰者Anne Marie Ekman(エクマン)が、現在のレコテクの活動内容について

     ①    就学前の障害児の家庭指導

 ②    [endif]障害児の発達指導、社会参加のすすめ

 ③    [endif]個別的、治療教育のためのおもちゃの無料貸し出し

 ④    [endif]障害児療育施設、学校との教育、指導内容の助言

 ⑤    [endif]遊具についての情報収集

などを、あげているのをみても、本筋には変わりなく、ほぼ引き継がれていることがわかり、この活動の裏にあるNormalization(ノーマライゼーション)の思想が良く生かされている事にも気づく。  また、イギリスの場合を考えても、「おもちゃの図書館」は、地域社会(保育所・学校・病院・図書館・教会・個人の家庭・保健所など)の中で、いたるところで開設されているといわれ、その理念を渡辺は

 ①         障害のある事によって生じる、「いいおもちゃ」とのふれあいの少なさを、貸し出しや開発によってうめていく事

 ②            地域の中の話し合いの場として

 ③           専門家と親が同じレベルで話し合うことにあると論じている。

 また小林は、同じく

 ①         各々の障害児に合うおもちゃを見つける場として

 ②         遊びを発見するために

 ③         遊びを通して自立へと導く役割

 ④         遊びを通してコミュニケーションを築く

 ⑤         家庭と学校・施設をつなぐため

の5つを、おもちゃ図書館の果たすべき役割と考えているが、ニュアンスの違いはあれ、良いおもちゃとのふれ合いの場としての、また、それを子どもの療育につなげ、地域ぐるみでの活動にひろげていくための場として期待していることがわかる。さて、あらためてこのようなおもちゃの図書館への期待を、私なりにまとめてみると、大まかには、これからのおもちゃの図書館には、治療的役割、教育的役割、研究的役割および社会福祉的な役割が求められると思う。もちろんこれは、私達がこれまでに実践してきた、北九州市おもちゃライブラリー(KOL)の活動をまとめ、さらに今後の期待をも込めたものであるし、四つの項目が、明確に分離できるものでもないが、この条件を念頭におきつつ各々の役割について概説したい。

(1)治療的役割治療的役割には、さらに次の3つに分けられる。

a.子どもを治療する(家庭を治療する)子どもに、たくさんの良いおもちゃを提示し、子どもがそれを自主的に選択して、自分の気の向くように遊ぶ。一人で遊ぶも良し、集団で遊ぶも良し、ここでは、おもちゃとの出合いと自主性を重んじる。この過程で、子どもの体の動きや四肢の機能が改善され、Tryする気持ちが養われる。これは、やがて物との会話の仕方、ついで人との会話の仕方、付き合い方の改善へとつながるものである。 障害児を持つ多くの両親が、このdisability(能力的不足)の改善を、どこかで願っている事は、日本をふくめ世界のおもちゃ図書館の設立の動機にもある毎く極く自然の事である。しかし。この場合「○○が出来るようになった」という直接的な訓練効果よりも、さらに一歩進めた、子どもの生き方の変化、親自身の考え方の変化や、借り出した一つのおもちゃを囲んで生じた障害児と兄弟と両親との関係の変化の方を、重く評価する人々も多く、このような現象をみると、a handicapped child is a handicapped family(障害児と障害児を持つ家族は一心同体である)という言葉は、空虚なスローガンではなくて、現実味の濃いものだという実感が強まる。 おもちゃをの持つ治療的意味あいを、単に四肢躯幹の機能だけにかたよらせて限定してしまうことは危険である。

 

b.おもちゃを治療する 子どもや家庭だけでなく、おもちゃそのものを治療するToy clinic(おもちゃの病院)的機能も必要である。 各地には、すでに独立したおもちゃの病院が多数開設されているが、その目的は、

   ①壊れたらすてれば良い、また買えば良いという消費社会へ警鐘を鳴らすと同時に、省資源時代に対応する。     ②子ども達の創造性と研究心を高め、あわせて物の大切さを教えて、物を大切にする心や、人や物への愛情、思いやりの心を育てる。

     ③直す試みを一緒にすることで、子どもとのふれあいを深め、子どもとの交流をはかる。つまり、一緒に直す病院をめざす。     ④おもちゃの病院での仕事を行うことでおもちゃと子どもの関係をより確かにし、おもちゃと子どもとの共有の世界を広げ、遊ぶことをより楽しいものにさせる。

などに代表されるが、私自身は、「おもちゃの命は、壊れない事で、そのおもちゃにかけた子どもの夢を永続させる事」というデンマークのHukit社のKit(キット)女史の言葉を側面から支える働きがおもちゃ病院の原点であると思う。

 こうした働きの中から、“にせのおもちゃ”をのさばらせる社会、子どもを無視した社会に対し、大きな憤りを感じ、子ども達の夢を守り、活動を通して、社会への厳しい批判とあるべき姿を示唆していく、高田らの姿勢が生まれて来る。

c.社会を治療する とはいえ、現在の消費社会を、止める社会であり悪であると決めつけ、おもちゃを介して社会を改善しようというのではない。ただ、めまぐるしく変化する社会の中で、いろいろなおもちゃが、子どもの目前を相当のスピードで流れて行き、たまたまある子どもの手に止まってもそれは一瞬の事で、そのおもちゃ一つひとつの「使用価値」が十分吟味される事なく消費されて行くのが好ましくないと思うだけなのである。

 柏木にならっていえば、今一つひとつのおもちゃ文化は、まさにイメージのみで作られ、子どもはただそのイメージの差を感じているにすぎず、この状況をみて多くの人びとは、現代の子どもは遊びを知らないという。しかし、あまりにもそのイメージが画一化されたおもちゃでは、その一つひとつの持つ「使用価値」を確認し、さらにイメージをふくらませようがないのではないか。

 今や子どもの生活には、あり余るほどのおもちゃが入り込んで来ている。年間4400億円ものおもちゃが我が国で生産され、年間消費量はその1.5倍に当る6900億円で、日本の子ども1人あたりの年間消費量は3万8000円である事から見ても、その大きさがわかる。

 おもちゃ図書館の役目の一つは、この大量のおもちゃの中から、子どもが自分の中で選んだ物の価値を定めるのを手伝う事であり、その定めた多様な価値を守りつづけて、その心を次の時代に継承して行く事である。

 社会を治療する事、そういう価値の守り手、継承の担い手を育てていく事と同義である。

 

(2)教育的役割について

 子どもを教育するためのおもちゃ、という明治時代のとらえ方は別にして、両親の教育、施設や保育所などの職員の教育、ボランティアの指導・養成など、おもちゃ図書館の持つ教育的役割も期待されるものの一つである。

 各地で、おもちゃの図書館に参加している人びとからも、自己の進歩のため、両親の希望に沿うためなどの目的で、この働きが求められる。

 ここでの教育的役割は、おもちゃの選び方、遊び方、遊ばせ方を組織的に、専門的に教える事をいい、子どもや家庭や地域社会にどの様に所属させるかを指導する事までを含む。対象はもちろん、子ども以外の全当事者であるが、この活動に似た仕事をしている例が一つある。   ニューヨーク市郊外の、フリーポートにあるVerbal International Project (VIP;言語による母子相互作用促進計画)と呼ばれるもので、Lebenstein博士(レーベンシュタイン)が主催する、公立機関である。  ここでは、障害児の家庭から要請があれば子どもに、2冊の本と、2個のおもちゃを無料で配布し、さらにそのおもちゃを使って遊ばせ方を指導するトレーナーを家庭に派遣してくれる。トレーナーは、ほとんどがこのVIPで養成されたボランティアの人びとで、子どもに直接遊び方を教えるのではなく、母親に、そのおもちゃでの遊ばせ方を指導するのである。母親に、おもちゃを使って、どのように子どもとの間に良好な母子相互作用を形成し子どもの社会性を伸ばしたら良いかを教え、それによって障害児を社会に参加させやすくする事を目的にしている。  しかし、このような制度が日本の現状ではすぐにできるとは考え難いので、まず個々のおもちゃの図書館が、障害やおもちゃ遊びについての経験者、有識者、専門家の参加を積極的に進めて行くことからはじめ、やがては全国的なトレーニングチームをつくり、お互いがお互いの専門性を持ちよって、指導しあいたいものである。  その他、相互教育の手段として、機関誌やパンフレット類の発行・セミナー・講演会・おもちゃ展の開催なども必要となろう。

(3)研究的役割について

これは、おもちゃに関する諸研究活動の事で、

       ①    情報収集(学会誌や業界誌、おもつやの図書館機関誌、各種の会合などから、いろいろな情報を集める。)

       ②    おもちゃの開発、試作(収集した情報からいくつかを選んで試作したり、いろいろな意見から、好ましいおもちゃを開発する。)

       ③    子どもに試みてもらう(実際に試作したものを、子どもや両親に試用してもらい意見を求める。)

       ④    学会参加(お互いの意見の交換の場として有効で、有用なおもちゃの製作や、おもちゃを使っての遊び方etcに関する情報を持ち寄る。)

などがあり、自らの働きかけで、おもちゃ自身をより好ましいものにする役割である。  これにも、個々のおもちゃの図書館レベルでの活動はもちろん、個々の活動をまとめて行く全国レベルの中央研究(情報)センターのようなものが設置される事が望ましく、ドキュメンティションと、レファレンス機能を完備した開放された施設として機能する事を改めて期待したい。

(4)社会福祉的役割について

「子どもを診る事は、その発達の状況と、社会環境からの影響を常に考慮し続ける事である。」(Nelson)という小児科医の言葉があるが、おもちゃの図書館の活動の中で、発達状況に対する配慮がplay habilitationにあたるなら、社会環境を考慮することはNormalizationの思想を反映する事に当る。  社会福祉的役割とは、まさにこのような事なのであるが、これは、障害児を治療して正常化する事ではなく、むしろ我々の生活思想を変えて、「障害を持つ子どものための、狩野な限り正常な生活条件に基づいた生活を創造する事」である。

 「障害を持つ子どもが、健常児中心の社会のリズムをうまく利用し、その中にとけ込んで行けるようにとの心づかいを皆が示す事」と考えても良く、変るべきは障害児ではなくむしろ我々の方であるとの認識がほしい。このような視点から、KOLのはたした役割をみると、

     ①    多勢ではあるが、ほぼ同じ顔ぶれの障害児とその家族が、毎週やって来るため、一種の社交場のような役割を果たしている。

 ②     母親同士が、障害という事を中心にして話し合いをはじめ、お互いの協力により、障害を乗り越えようという連帯感を育てる場所であ 

   る。

 ③    健常児の参加もあるので、障害を持つ子と持たない子が、子ども同志の遊びを通して、自分の感覚でお互いの生活を理解しあえる場所

   である。

 ④    障害児と接し、障害にまつわるいろいろな問題を持つ、保育所、学校、施設、病院などの施設職員は、一緒に参加して遊ぶ事でより多く

   の子どもの生活を知り、各々の職場での療育のあり方を考える手がかりが見つかり、また、子どもも母親も、いろいろな施設やそれに付

   属する社会資源の存在を知る事ができ、将来の進路の選択に幅と心がまえをもたせる。

 ⑤    自らの持つ専門性の発展のヒントを得る事ができる。

 ⑥    ボランティア主婦、学生の参加により、KOLの働きに共鳴するbranch的機能を持つ集まりが広がり、地域内での障害児受け入れの場が拡

   大されている。

 ⑦    市民生局や、社協などとの連携があるので、このような事業の公共化、公営化への道を探る手がかりをつくっている。

 ⑧    参加者が多く、参加者にいろいろな立場の人を含むので、運営や機能にゆとりと幅を持たせる事ができ、いろいろなニーズに対応でき

   る。

などが数えられるが、これらをさらにまとめると、おもちゃの図書館には、障害児の家庭内での療育、施設での療育、さらに地域での療育のすべての面で、有用な働きをする余地が多く、子どもの生活や遊びや集団への所属の保障を確実にするための強力な援助手段たり得る事がわかる。  

 現在、各地で開かれているおもちゃの図書館は、すべて程度の差はあれ、このような役割を展開していると思われ、play habilitationからNormalizationまでの広い領域をカバーする、地域の重要な社会福祉的資源としての位置づけがなされるべきものである。

 

4おわりに

おもちゃの図書館について、今まで考え実践してきた事をまとめた。  おもちゃの図書館は、子どもの生活を支える一つの重要な存在である事が改めて確認され、障害児、健常児の別なく利用され得る態勢が整えられることはもちろん、現在のように子どものほんの一部の「遊び」という文化にとどまらず、オーストラリアのノアの箱舟図書館に見られるように、いずれは、衣文化、食文化、住文化をも取り込んだ総合的な子ども文化センター的役割へと進んで行くのではないかと考えられる。  今回はおもちゃの図書館について、その歴史や活動の理念を主に述べた

が、次回は、KOLの活動の実際について述べようと思う。

 

参考文献

木谷宜弘「おもちゃとの出会いを」(「ボランティア情報」Vol4)

柳田国男「こども風土記」(定本柳田国男全集21)筑摩書房

柏木博「おもちゃの神話」毎日新聞社

Herzka,H・S(川端利彦ら訳)「豊かな遊びを作るおもちゃ」ブラザージョルダン社

辻井正「おもちゃによる療育レッスン」こども舎

Junker,K・S:A Center for play Habilitation as an Indispensable part of Medical and Educational Care of Handicapped and Sick child paediatriction:vol 3.No6

渡辺勧持ら「障害児とおもちゃ」(「障害児問題研究」vol19)

無井純一「ニュースレター」No19 和歌山発達研究会

小林るつ子「トイライブラリーの役割」(「おもちゃの図書館作り」全社協)

丸山正子「ながのおもちゃ図書館,第1回トイライブラリー連絡協議会討議資料」)

高田邦夫「子どもとおとなのかけ橋」(「おもちゃとの出会いを」全社協)

高橋高美「本職を生かしたおもちゃ病院」(「ボランティア」全社協)

中川靖浩「青年と子どもとの交流の場」全社協

伊藤純「“おもちゃ”という患者を通して」(「ボランティア情報」Vol4)

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